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■コンサートも開催されている、生駒山系を望む景勝の地、
『狛弁才天社』。
弁才天は、七福神のひとりで、唯一の女神様です。ここ、山城には14世紀ころか
ら建っていたと考えられる弁才天の祠があります。それが「狛の弁才天社」。上狛
一帯は興福寺の領地であり、興福寺や下司の国人・狛氏との関係が深く、狛氏の居
館が建っていたという上狛環濠集落の鬼門にあたる北東の方角に位置することから、
狛氏の守護神として祀られていたのではないかと考えられているそうです。
弁才天社は、狛野荘の荘官をしていた狛但馬守頼久によって永享9(1437)
年に造営されたと伝えられています。その後、天正8(1580)年に、狛秀綱に
よって再建されたといわれていて、その2年前には弁才天像が再興されていたとい
います。社の棟木には狛氏らが寄進したことが墨書されています。ちなみに、再興
者の狛秀綱の肖像画(天正12年の讃があり、39才のときのもの)が、上狛西福
寺に残されています。
元々、弁才天は、古代インドの神様であるサラスバティであり、これは河を神格
化した存在で、農業の神として知られています。そのため、木津川や上狛・椿井地
区に今もたくさん存在するため池などを司る神としてあがめられ、人々が五穀豊穣
を祈ったのではないかと考えられています。後に、弁才天は知恵の神であるバーチ
と習合して、農業だけではなく、言語や音楽の神様(そういえば琵琶を手に持って
いますね)となり、さらには吉祥天と相通じるものとして「弁財天」とも記される
ようにもなりました。
現在、弁才天社には、弁才天坐像を中心に13の童子像がまわりを取り巻くよう
に安置されています。中心の弁才天坐像は、像の高さ69.2センチメートル。頭
が老人でからだが蛇という宇賀神と鳥居のついた宝冠を頭にのせ、8本の腕を持ち、
左手は上から鉾・法輪・弓・宝珠を、右手は鑰(鍵)・宝棒・矢・剣を持って、唐
服をまとった姿で表されています。ただし、このお姿を拝むことができるのは、正
月三が日と11月の第一土曜日など、年数回の限られた日だけです。
弁才天は伎芸を司り,芸能、音楽とのつながりも深いことから,毎年秋のお彼岸
の頃には拝殿で薪能が奉納されたり、季節を通じてjazzやchanson,ポップスなど
のコンサートが催されています。境内からは遠く生駒山系が展望でき、景勝のスポ
ットとしても有名な「狛弁才天社」。ぜひ、立ち寄ってみてください。 |
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