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■平家追討の発起人、以仁王(もちひとおう)ゆかりの社、
『高倉神社』


平安時代の末期、源氏と平家が覇権を争ってはじまった源平合戦。源頼朝の挙兵、
ひよどり越や屋島での義経たちの活躍で、平家は劣勢を強いられ、ついには壇ノ浦
で滅亡に追いやられます。この一連の騒動は、「平家物語」として琵琶法師たちの
語りによって後世に伝えられてきました。

この源平合戦のきっかけをつくった人物がいます。それが、院政を布いて権謀術数
のかぎりをつくした“日本一の大天狗”として知られる後白河法皇の第二皇子であ
った以仁王(もちひとおう)です。彼の屋敷が三条高倉にあったので「高倉宮」と
も呼ばれていました。彼は、平家の圧力によって後白河法皇が幽閉され、自身も長
年知行してきた常興寺領を没収された、いわゆる治承三年の政変に端を発して、治
承四(1180年)、平清盛ならびに平家一門の追討を命じる「令旨(りょうじ)」
を出し、全国に散らばっていた源氏の武士たちに平家打倒の挙兵・武装蜂起を呼び
かけました。それに応えた源頼政とともに以仁王は京都で挙兵したのです。

しかし、戦いの準備が整わないうちに計画が平氏方にもれ、館を襲撃されてしまい
ます。その上、皇族籍を剥奪された以仁王は、命からがら近江の園城寺(三井寺)
に逃れます。が、平家側に立つ者も多く、ここでも勝ち目がないと判断した以仁王
と源頼政は、南都(奈良)の興福寺に頼ることを決めて出発しましたが、頼政は、
時間稼ぎのための宇治の平等院の合戦で敗れて自害。以仁王は、南山城の加幡河原
で平家家人の藤原景高・藤原忠綱らが率いる追討軍に追いつかれて討たれたと言い
ます。また、『平家物語』は光明山鳥居の前での戦死と伝えています。

このように以仁王の挙兵は、結果的には失敗に終わったのですが、彼の「令旨」を
木曾の源義仲(木曾義仲)、伊豆へ流罪となっていた義朝の子の源頼朝などが挙兵
し、ついには平家を滅ぼすこととなったのです。

この以仁王を祀るのが『高倉神社』。隣接して彼の御墓があります。『平家物語』
で伝えられている光明山鳥居の前がこの地だと伝えられていて、ここで、以仁王は、
流れ矢に当たって落命されたとあります。彼の死を悼んだ里人たちの手で、この社
が築かれたそうです。そして、以仁王の通称である高倉宮から「高倉神社」と命名
されたと伝えられています。

□高倉神社所在地 
 京都府木津川市山城町綺田神ノ木地内

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